気になる日本語1「本音の声が届きました」
「本音の声が届きました」
塾の広告で見かけた日本語である。志望校に合格した塾生が、いかにその塾が良いかコメントを寄せたものが掲載されていた。
気になったのは「本音」と書かずに「本音の声」と書いていることだ。
タテマエとホンネの悪影響?
タテマエとホンネが一般的にも広まったのは、日本人論ブーム以降だろうか。タテマエが「内心とは異なる表出された意見」とみなされ、ホンネがそれと対になるものとする。
特にタテマエが「表に出していい意見」である領域においては対であるホンネの意味が「表には出せない否定的な部分を含む意見」となってしまう。 利用者の声などの形をとって宣伝をおこなうことの多い広告では、表出された意見=タテマエとみなされやすくなってしまい、いたずらにホンネと言おうものなら否定的な意味が見出されてしまうのではないかと推測する。 日常における用例を見てみると
- A「ケーキはおいしかった?」
- B「おいしかったよ」
- A「本音は…?」
- B「ちょっと甘すぎてしつこかった…」
このようにのように、相手との関係から肯定的な意見を最初に述べざるをえず、 そこに遊びの関係がある場合には否定的なものを含むホンネを出しても良いというのが定式化されていないだろうか。
塾の広告の例にもどれば、その場において塾への否定的な意見が述べられることはまずないので、読者はその塾生の意見を事実を含むにせよタテマエとして受け取る。そのことが分かっているので、内心から良い塾であったと塾生から評価されていることを示したいと考えて「本音」という表現を使おうとしたものの、「ホンネ」には否定的な意味合いがついてしまっているために「本音の声」として「ホンネ」とは別であることを示そうとした苦心の表現なのではないかと勝手に推測している。
「素直にうれしい」
同じ種類の表現だと思っているものがスポーツなどのインタビューで耳にすることの多いこの言葉だ。
うれしいと言えばいいのに、素直にうれしいとわざわざ言う。強調の意味で「素直に」を用いているのだろう。 これも塾の広告と同じ構造だと思っていて、以下の経路をたどっているのだと推測している。
- スポーツマンたるもの、肯定的なコメントしかしてはいけない ↓
- 否定的な部分を含む内心の部分においてすら、うれしいという肯定的な意見をもっている ↓
- ”すごく”うれしいの意味で「素直にうれしい」と表出
小泉首相(当時)の「感動した!」に代表される、感じたものをそのまま表出するのが良いことであるという言説とも関係があるのだろうが、同じようなことを書いている人がたくさんいるので、そちらを参照してほしい。